1979年 スカ・ブームと次世代パンクの登場
年表で見るパンクロックの歴史/1979年
| 1979年 | できごと |
| 2月 | シド・ヴィシャスがニューヨークにて、ヘロインの過剰摂取により死亡。 |
| 後にシドの遺灰は、母親の手によってナンシー・スパンゲンの墓に撒かれた。(ナンシーの隣に埋葬してほしいというシドの遺言を、ナンシーの両親が拒否したため。) | |
| 2月 | ストラングラーズ初来日。 |
| 4月 | ラモーンズ主演映画『ロックンロール・ハイスクール』公開。 |
| B級映画の帝王、R・コーマンが製作総指揮を取った、青春ロックンロールムービー。 | |
| 6月 | ジェネレーションX初来日。 |
| 7月 | トーキング・ヘッズ初来日。 |
| 7月 | シャム69が解散。 |
| パンクのニュー・ヒーローとして熱狂的な支持を受けたが、ライヴでは客のパンクスやスキンヘッズの暴力沙汰が絶えず、それに追い込まれる形での解散となった。 | |
| 9月 | パティ・スミスが音楽活動を休止。 |
| パンクの女王として絶頂期を迎えながら、夫・フレッド・スミス(元・MC5のギタリスト)との生活や子育てのため引退を決意。 | |
| 10月 | スペシャルズがデビュー・アルバム『スペシャルズ』を発表。 |
| スペシャルズのジェリー・ダマーズがレーベル"2TONE"を設立、次々とスカ・バンドの作品を世に送り出し、2トーン系バンドを中心にスカ・ブームが巻き起こる。 | |
| 12月 | セックス・ピストルズの映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』公開。 |
| ジュリアン・テンプル監督のドキュメンタリー映画。 | |
| 12月 | クラッシュが3rdアルバム『ロンドン・コーリング』発表。 |
| レゲエやダブを取り入れたパンクに留まらないサウンドで、幅広い層に受け入れられる。 | |
| ?月 | クラスがインディペンデント・レーベル、クラス・レコードを設立。 |
| 1stアルバム『The Feeding of the 5000』をスモール・ワンダー・レーベルからリリースした際、歌詞の過激さから収録拒否された曲があったことがきっかけ。 | |
1978年 オリジナルパンクの衰退とポストパンクへの転換
年表で見るパンクロックの歴史/1978年
| 1978年 | できごと |
| 1月 | セックス・ピストルズからジョニー・ロットンが脱退。 |
| セックス・ピストルズは初のアメリカ・ツアーをスタートさせるが、1月14日、サンフランシスコ・ウォーターランドでの公演後、ジョニー・ロットンが脱退。事実上の解散と言えるが、バンド自体はしばらく活動を存続させていた。 | |
| 2月 | XTCがデビュー・アルバム『ホワイト・ミュージック』を発表。 |
| 後に「80年代のビートルズ」と称されるようになる。 | |
| 2月 | シャム69がデビュー・アルバム『テル・アス・ザ・トゥールス』を発表。 |
| パンクスとスキンヘッズの両方から支持され、後のOiパンクの源流となる。 | |
| 4月 | ダムド解散。 |
| ラット・スケイビーズ(Dr)が脱退、2月にはブライアン・ジェームズ(G)が脱退を表明し、4月のライヴを最後に解散。 同年9月に、アルギー・ワード(B)が加わり再結成。キャプテン・センシブルはベースからギタリストに転向する。 | |
| 4月 | 『ロック・アゲインスト・レイシズム』がロンドンで開催。 |
| ヴィクトリア・パークにて、人種差別反対、反ナチのロック集会『ロック・アゲインスト・レイシズム』が開催される。7万人を動員。 【出演:クラッシュ、トム・ロビンソン・バンド、X-レイ・スペックス他】 | |
| 6月 | 映画『ザ・パンク・ロック・ムービー』公開。 |
| ロンドン・パンクのドキュメント映画、監督はドン・レッツ。 【出演:セックス・ピストルズ、クラッシュ、スージー&ザ・バンシーズ他】 | |
| 7月 | ジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成。 |
| 【メンバー:ジョン・ライドン(Vo)、ジャー・ウォブル(B)、キース・レヴィン(G/元・クラッシュ)、ジム・ウオーカー(Dr)】 同年12月にデビュー・アルバム『First Issue』を発表。 | |
| 8月 | スージー&ザ・バンシーズがデビュー・アルバム『香港庭園』を発表。 |
| パンク・シーンから生まれたバンドだが、ポスト・パンク路線のサウンド(“サイキック・サウンド”などと表現される)で聴き手を驚かせる。 | |
| 8月 | 『レディング・フェスティバル』にパンク勢が集結。 |
| 『レディング・フェスティバル』にパンク勢が集結。 イギリスの歴史あるロック・フェスにパンク勢が大集結。パンクスとスキンヘッズの暴動があり、シャム69のジミー・パーシーが泣きながら歌っていたというエピソードが有名だが、ジミーは大観衆の前で歌っていることに感動して泣いていたらしい。 【出演:ジャム、シャム69、パティ・スミス、ウルトラヴォックス他】 | |
| 8月 | テレヴィジョン解散。 |
| 4月に2ndアルバム『アドヴェンチャー』をリリースしたが、8月、ニューヨークでのライヴを最後に解散。(1992年に再結成。) | |
| 10月 | シド・ヴィシャスの恋人、ナンシー・スパンゲンが刺殺される。 |
| シドが容疑者として逮捕されるが、ヴァージンが多額の保釈金を提供し保釈される。 当時シドはナンシーとともにニューヨークのチェルシー・ホテルに滞在中で、マクシズ・カンサス・シティやCBGBなどでギグを行っていた。 | |
1977年 パンク最盛期
年表で見るパンクロックの歴史/1977年
| 1977年 | できごと |
| 1月 | セックス・ピストルズ、EMIから契約を解除される。 |
後に発表された曲『拝啓EMI殿(E.M.I)』は、いわゆる意趣返し。 | |
| 2月 | テレヴィジョンがデビュー・アルバム『マーキー・ムーン』を発表。 |
| ジャケット写真は、ロバート・メイプルソープによるもの。 | |
| 2月 | ダムドが1stアルバム『地獄に堕ちた野郎ども』を発表。 |
| シングルに引き続き、この作品もロンドン・パンク初のアルバムとなる。 | |
| 3月 | セックス・ピストルズがグレン・マトロックを解雇、後任ベーシストにシド・ヴィシャスが加入。 |
| グレン解雇の理由は「ポール・マッカートニーが好きだから」。実際は、ジョニー・ロットンとの軋轢が理由だと言われている。シドはジョニーと学生時代からの友人で、ピストルズの熱狂的なファンでもあった。 | |
| 3月 | セックス・ピストルズがA&Mと契約。 |
| バッキンガム宮殿前で公開契約を行うが、1週間ほどで契約を解除される。2枚目のシングル『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』は、わずかな枚数が市場に流れただけで販売中止となった。 | |
| 3月 | クラッシュがデビュー・シングル『白い暴動』を発表。 |
| 1976年の“ノッティング・ヒル・カーニバル暴動”に巻き込まれたことがきっかけで生まれた曲。 | |
| 4月 | ストラングラーズがデビュー・アルバム『夜獣の館』を発表。 |
| 原題の『Rattus Norvegicus』は、ドブネズミの学術名。フロントマンのヒュー・コーンウェルは、生物学の博士号を持っている。 | |
| 4月 | クラッシュが1stアルバム『白い暴動』を発表。 |
レゲエ曲のカバー『ポリスとコソ泥』(オリジナルはジュニア・マーヴィン)は、アルバムの収録時間が短かったために追加されたもの。1979年にアメリカ盤(再構成、シングルのオマケ付き)がリリースされている。 | |
| 4月 | ダムドがニューヨークのCBGBにてライヴを行う。 |
| イギリスのパンクバンドとしては初。 | |
| 4月 | ザ・ジャムがデビュー・シングル『イン・ザ・シティ』を発表。 |
| 翌月、同タイトルの1stアルバムもリリース。ポール・ウェラー(Vo,G)は当時18歳であった。 | |
| 5月 | クラッシュが『白い暴動』ツアーを開始。 |
| サポートはジャム、バズコックス、スリッツ。 | |
| 5月 | セックス・ピストルズ、ヴァージン・レコードと契約成立、2ndシングル『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を発表。 |
| BBCでは即放送禁止となる。翌月、シングル・リリースと女王の在位25周年を記念して、テムズ川で船上パーティーを開くが、水上警察に逮捕される。 | |
| 5月 | テレヴィジョンがロンドンにて初ライヴ。 |
| 共演はブロンディ。 | |
| 7月 | エルヴィス・コステロがデビュー・アルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー』を発表。 |
| ニック・ロウのプロデュースで、スティッフ・レコードよりリリース。 | |
| 10月 | セックス・ピストルズがアルバム『勝手にしやがれ』を発表。 |
| このアルバムはベースが二重に録音されている。スティーブがシドの演奏を気に入らず、音を被せてしまったらしい。 | |
1976年/ロンドンのパンクバンドが続々デビュー
年表で見るパンクロックの歴史/1976年
| 1976年 | できごと |
| 3月 | ロンドンSS解散。 |
| 各メンバーがそれぞれ別のバンドを結成する。 | |
| 4月 | クラッシュ結成。 |
| ワン・オー・ワナーズのライヴにセックス・ピストルズがサポートで出演。 ピストルズのステージに衝撃を受けたボーカルのジョー・ストラマーは、ミック・ジョーンズらの誘いを受け、彼らのバンドに参加する。「クラッシュ」の命名はポール・シムノン。 【メンバー:ジョー・ストラマー(Vo)、ミック・ジョーンズ(G)ポール・シムノン(B)、テリー・チャイムス(Dr)、キース・レヴィン(G)】 | |
| 4月 | ラモーンズがデビューアルバム『ラモーンズの激情』を発表。 |
| スリーコードのシンプルな高速ロック、誰にでもできそうなパンクのスタイルを確立した。 | |
| 5月 | パティ・スミス、ロンドンで初ライブ。 |
| ラウンドハウスにて公演。前座はストラングラーズ。 | |
| 6月 | バズコックス結成。 |
| ピート・シェリーとハワード・ディボートが、マンチェスターにセックス・ピストルズを招聘し、前座を務めるためにバズコックスを結成。これをきっかけにマンチェスターの音楽シーンが活性化する。客の中に、後のジョイ・ディヴィジョンのメンバーや、モリッシー、ZTTレコードを立ち上げたポール・モーリーなどがいたことも有名。 | |
| 7月 | ラモーンズ、ロンドンで初ライブ。 |
| ラウンドハウスにて公演、前座はストラングラーズ。ロンドンのパンク・ムーブメントに火をつける。 | |
| 8月 | インディ・レーベルの元祖、スティッフ・レコード始動。 |
| スティッフ・レコードは、ダムド、エルビス・コステロ、イアン・デューリーなどを輩出した、ロンドンの老舗インディ・レーベル。 | |
| 9月 | ロンドンの100クラブでパンク・フェスティバルが開催される。 |
| 【出演:セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、サブウェイ・セクト、スージー&バンシーズ、バズコックス他】 バンシーズのドラムはシド・ヴィシャス。 2日目の夜にシドが起こした事件(*)が元で、100クラブをはじめロンドン各地のクラブでパンクのギグが禁止される。 (*シドが投げたグラスの破片が少女の目に刺さって失明してしまい、シドは逮捕されて少年院に送られた。) | |
| 10月 | ダムドがデビュー・シングル『ニュー・ローズ』を発表。 |
| ロンドン・パンク初のレコードとなる。スティッフ・レコードからのリリースで、B面はビートルズの『ヘルプ!』のカバー。 | |
| 11月 | ジェネレーションX結成。 |
| 【メンバー:ビリー・アイドル(Vo)、トニー・ジェームス(B)、ボブ・アンドリュース(G)、マーク・ラフ(Dr)】 | |
| 11月 | セックス・ピストルズがデビュー・シングル『アナーキー・イン・ザ・U.K.』を発表。 |
| EMIからのリリース。数回のオンエアで放送禁止となり、レコードの回収騒ぎも起きた。 | |
| 12月 | セックス・ピストルズ、生放送のTV番組で4文字言葉を連発。(ビル・グランティ事件) |
| ビル・グランティのトークショーに出演したピストルズ、f--kを連発し抗議が殺到。同月からスタートした『アナーキー・ツアー』で回る予定だった会場からのキャンセルが相次ぐ。 | |
1975年/ロンドンパンクの始まり
年表で見るパンクロックの歴史/1975年
| 1975年 | できごと |
| 1月 | トーキング・ヘッズ結成。 |
前身バンド、ジ・アーティスティック(The Artistic)にティナ・ウェイマスが加入し、名前をトーキング・ヘッズに改めた。 | |
| 3月 | ミック・ジョーンズ、トニー・ジェームスらがロンドンSSを結成。 |
| ロンドンSSはライヴ活動を行わないまま解散したが、後のパンク・シーンの重要人物が在籍したことで有名である。 【メンバー:ミック・ジョーンズ、ポール・シムノン(クラッシュ)、ラット・スキャビーズ、ブライアン・ジェームズ(ダムド)、トニー・ジェームズ(ジェネレーションX)】 | |
| 4月 | テレヴィジョンからリチャード・ヘル(B)脱退。 |
後任ベースには、元ブロンディのフレッド・スミスが加入。 | |
| 4月 | ニューヨーク・ドールズからジョニー・サンダース(G)、ジェリー・ノーラン(Dr)が脱退。 |
| 5月 | ジョニー・サンダース&ハートブレイカーズ結成。 |
| 【メンバー:ジョニー・サンダース(Vo,G)、ジョリー・ノーラン(Dr)、リチャード・ヘル(B)、ウォルター・ルー(G)】 リチャードは間もなく脱退、ビリー・ラスを後任に迎える。 | |
| 7月 | ニューヨーク・ドールズ解散。 |
| 当時のマネージャー、マルコム・マクラーレンがロンドンに戻る。 ヴィヴィアン・ウエストウッドと共同経営のブティック「SEX」(オープン時の店名は「Let It Rock」)に集まる若者たちに目をつけ、パンクバンドとして売リ出そうと考える。 | |
| 8月 | セックス・ピストルズ結成。 |
| マルコムの思惑により、前身バンド「スワンカーズ」からワーウィック・ナイチンゲール(G)を脱退させ、スティーブ・ジョーンズはボーカルからギタリストに転向。ジョニー・ロットンが新ボーカルとして加わる。(「ジョニー・ロットンはマルコムがスカウトした」説が一般的だが、実際はクラッシュのマネージャー、バーニー・ローズが声を掛けたらしい。) 【メンバー:ジョニー・ロットン(Vo)、スティーブ・ジョーンズ(G)、ポール・クック(Dr)、グレン・マトロック(B)】 | |
| 11月 | パンクの女王パティ・スミスが、デビューアルバム『ホーセス』を発表。 |
| 元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルがプロデュース、ジャケット写真はロバート・メイプルソープによるもの。 | |
| 11月 | セックス・ピストルズがステージ・デビュー。 |
| グレン・マトロックの母校にて初ギグを行うが、あまりの爆音のため10~15分程度で電源を切られる。 | |
1974年 世界最初のパンクバンド誕生
年表で見るパンクロックの歴史/1974年
| 1974年 | できごと |
| 2月 | 世界で最初のパンクバンド、ラモーンズ結成。 |
【メンバー:ジョーイ・ラモーン(Vo)、ジョニー・ラモーン(G)、ディー・ディー・ラモーン(B)、トミー・ラモーン(Dr)】 | |
| 3月 | テレヴィジョン結成。 |
| 【メンバー:トム・ヴァーレイン(Vo&G)、ビリー・フィッカ(Dr)、リチャード・ヘル(B)、リチャード・ロイド(G)】 後にニューヨーク・パンクの聖地となるクラブ『CBGB』を拠点に活動を始める。 | |
| 8月 | ラモーンズが『CBGB』でのライヴ活動をスタート。 |
口コミで徐々に動員を増やし、定期的にギグを行うようになる。 | |
| 12月頃 | ストラングラーズ結成。 |
| ヒュー・コーンウェルが、「音楽に生きるよう神の啓示を受けた」のをきっかけに結成。 【メンバー:ヒュー・コーンウェル(G,Vo)、ジャン・ジャック・バーネル(B,Vo)、ジェット・ブラック(Dr)、デイブ・グリーンフィールド(Key)】 | |
年表で見るパンク・ロックの歴史